東京高等裁判所 昭和32年(ネ)14号 判決
被控訴会社がもと常磐無尽株式会社という商号で無尽契約による業務を主とし、普通預金、定期預金についても大蔵省の認可を得てこれが受入を業としてきたこと、被控訴会社が昭和二十六年十月二十日相互銀行法に則つて免許を得、その商号を株式会社常磐相互銀行と変更し、かつ相互銀行業を営むべく、その目的を変更して今日に至つたことは当事者間に争のないところである。
しかして、証拠を綜合すれば、被控訴会社吾妻橋出張所に勤務していた被控訴会社の外務員宮城寅平(宮城寅平が被控訴会社の外務員であつたことは当事者間に争がない。)は、昭和二十五年五月はじめ頃控訴人に対し一ケ月三分の利息を払う約定で被控訴会社に定期預金をなすことを勧誘し、控訴人は右勧誘に応じ、その頃宮城寅平に金五十万円を被控訴会社への定期預金とする趣旨で交付したこと、同人はこれについて、控訴人に対し被控訴会社(当時の商号は常磐無尽株式会社)吾妻橋出張所長作成名義の定期預金通帳一冊(ただし、普通預金通帳と印刷したものの「普通」とあるのを抹消して、「定期」とインキで書き入れ「一四九」なる番号を附したもの)に、五十万円と書き入れたものを交付したこと、ついで控訴人は、昭和二十五年六月上旬頃前同様の約定で被控訴会社への定期預金とする趣旨で金三十万円を宮城寅平に交付し、同人はさらに右金三十万円を前記預金通帳に記入せしめたものを控訴人に交付したこと、宮城寅平は、控訴人をして昭和二十五年六月分から同年十月分までの約定利息中同年六月分二万四千円、七月分二万四千円、八月分二万四千円、九月分中一万五千円、十月分二万四千円を現実に控訴人に支払わないでそれぞれ被控訴会社に対する預金中に繰り入れることを承諾せしめ、昭和二十五年十一月よりは、預金の元金を九十一万一千円として利息を計算し、ついで、昭和二十六年五月分利息中二万七千円を、同年六月分利息中二万七千円を被控訴会社に対する預金中に繰り入れることを承諾せしめ、次いで同年十一月には利息二万七千三百三十円を被控訴会社に対する預金中に繰り入れることを承諾せしめた外、新たに七千六百七十円を定期預金のためなりとして交付せしめて昭和二十六年十一月分からは元金を百万円としたこと、ついで、宮城寅平は昭和二十七年三月十五日控訴人をして前同様月三分の利息の約定で被控訴会社への定期預金として金五十万円を交付せしめ、これにつき常磐相互銀行という被控訴会社作成名義の定期預金通帳(「二一六」と番号を附したもの)に右預金額を記入したものを交付し、ついで昭和二十七年十月二十一日控訴人をして月四分の利息の約定で被控訴会社への定期預金のためなりとして金五十万円を交付せしめ、右二一六号通帳にさらに右預入額を記入したものを控訴人に交付したこと、然るに昭和二十八年三月下旬頃宮城は控訴人に対して、決算のため台帳と照合する必要があるからといつて、控訴人より右二冊の通帳を交付せしめたが、終にこれを控訴人に返還しないことをそれぞれ認めることができる。
証拠によれば、宮城寅平は控訴人から前段認定のように被控訴会社に対する預金として受け取つた金員を被控訴会社に交付することなく、同人の他に対する金融など自己の用途に費消したが、一方控訴人名義の三文判を使用して、昭和二十六年十一月七日に金十万円を、昭和二十七年五月六日に金五千円を控訴人名義で被控訴会社に普通預金として預け入れたが、宮城寅平は右預入金をいずれも昭和二十八年二月二十八日被控訴会社から元利とも支払を受け自己の用途に費消したことを認めることができる。
而して控訴人は、宮城寅平には被控訴会社から定期預金並びに集金の権限を与えられていたから、同人が控訴人から前段認定の金員を受け取つたことにより控訴人と被控訴会社との間に定期預金契約が成立したものであると主張するので、この点について判断するに、原審証人天野堯司は被控訴会社の外務員には預金の勧誘のみならず預入のため集金する権限が与えられていたと供述するけれども、該供述は成立に争のない乙第九号証、原審並びに当審証人滝野信一郎の証言と対比し、信用し難い。右乙第九号証並びに右証人滝野信一郎の証言によれば、被控訴会社の外務員は、無尽掛金、相互掛金については集金の権限を有していたが、預金については預金者が銀行の窓口に来て預け、これと引換に預金証書を発行することになつていたので、外務員は預金を集金したりする権限を有しなかつたもので、宮城寅平もその権限は一般外務員と同一であつたことを認めることができるから、同人が本件定期預金を受領する権限を有していたものとは認め難い。然らば宮城が控訴人より前示認定の如く定期預金のためなりとして金員を受け取つても、これにより控訴人と被控訴会社との間に控訴人主張の定期預金契約が成立したものということができない。よつて控訴人主張の定期預金契約が成立したことを前提とする控訴人の第一次的請求は、その余の争点につき判断するまでもなく、既にこの点において失当として棄却さるべきものである。
次に控訴人の予備的請求につき判断する。前段認定の事実によれば、宮城寅平が被控訴会社に外務員として雇われていたこと、宮城寅平が控訴人から被控訴会社への定期預金なりとして、昭和二十五年五月金五十万円、同年六月上旬頃金三十万円、昭和二十六年十一月中金七千六百七十円、昭和二十七年三月十五日金五十万円、同年十月二十一日金五十万円を受け取り、これを被控訴会社に交付せず自己の用途に費消し、よつて控訴人に合計百八十万七千六百七十円の損害を与えたことが明らかである。
控訴人は、右損害は被控訴会社の被用者である宮城寅平によつて被控訴会社の事業の執行につき加えられたものであると主張するので考えるに、前段においてそれぞれ認定したところと原審証人天野堯司、当審証人藤原太郎の各証言を綜合すれば、被控訴会社は、その吾妻橋出張所において、普通並びに定期預金受入の業務について、外務員に対してはその勧誘の権限を与えていただけで預金のための現金を受取る権限は与えていなかつたけれども、事実上は外務員のかかる行為を黙認し、その場合、外務員に対し顧客名義の預金通帳を交付し、これを預金者に交付せしめることが慣行的に行われていたこと、そして外務員はかかる行為を顧客の代理人としてでなく、却つて顧客に対し被控訴会社の使用人としてなしつつあつたこと及び外務員宮城寅平はかかる状況の下において前示行為をしたことを認めることができる。原審並びに当審証人飯岡丈市、滝野信一郎の各証言中認定に反する部分は信用しない。その他右認定を左右するに足る証拠はない。
而して前示認定の如く被控訴会社は昭和二十六年十月二十日相互銀行法に則つて免許を得たものであるから、爾後同法により預金の受入を業務として営み得るものであるが、それ以前においては、無尽業法に基く無尽会社としてその商号を常磐無尽株式会社と称し、その当時は無尽契約による業務を主としていたが、大蔵省の許可を得て普通預金及び定期預金の受入の業務をも業営していたことは当事者間に争がない。思うに、このように預金の受入が無尽の掛金の受入と並んで被控訴会社の業務として会社目的の範囲内の行為であつたからには、たとえ被控訴会社の内部の規約上外務員が預金のため現金を受取り又は集金をなすことを認めていなかつたにせよ、前示認定の如く被控訴会社自身が外務員のかかる行為を黙認し、かかることが慣行的に行われていたばかりでなく、外務員がかかる行為を顧客の代理人としてでなく、被控訴会社の使用人としてなしつつあつたのであつて、然も被控訴会社の外務員が無尽の掛金の集金の権限ありし以上、その外務員には預金のための現金受領の権限もあるが如き外観を呈するに至るものというべく、(控訴人が外務員たる宮城寅平に預金のための現金受領の権限なきことを知り又は過失によつて知らなかつたとの証拠はない)従つて外務員たる宮城寅平がかかる情況の下にて、外務員たる地位を利用し、被控訴会社名義の定期預金証書を作成し、以て顧客たる控訴人より定期預金のためとて前示の如く金員を交付せしめこれを受領した行為は、被控訴会社の事業の執行につきなされたものというべきである。
従つて被控訴会社は宮城寅平が右の行為によつて控訴人に与えた前記認定の損害を賠償するの責を免れることができないものというべきである。
しかして、控訴人が宮城寅平から前段認定の定期預金として交付した金員につき、利息として合計金九十六万五千六百三十円を受け取つたことは控訴人の自認するところであるから、被控訴会社は控訴人に対し金百八十万七千六百七十円から右九十六万五千六百三十円を差し引いた金八十四万二千四十円並びにこれに対する本件訴状が被控訴会社に送達せられた日の翌日である昭和二十八年十一月十日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合の遅延損害金を支払うべき義務あるものというべきである。
(松田 猪俣 沖野)